ITコンサルタント・IT活用サポートの仕事をご一緒しましょう

私、加藤利彦、通称:冷泉(れいぜい)は、
WEBを通したITサポート業務は2004年から
本格的なコンサルティングは2011年から実施して来ました。
GmailやGoogleカレンダーが英語バージョンしか存在しない頃から
Googleのソリューションを活用し続けてきました。
クラウドサービスが本格的に出てくる前から活動しているため
大きな時代の流れを見てきました。

そこで強く感じるのは、IT・クラウドに関する情報格差です。
出来る会社はどんどん伸びる、出来ない会社は取り残される。
業種業態によってもその差は大きく
やっと情報のクラウド化に着手しようとしても
誰も教えてくれない、自社で頑張るにもWEBや本を見ても難解。

ツールの操作が分かっても、自社の何に活用できるのか理解できない
だから直接教えて欲しい、でもそれを誰に頼めばいいのか分からない。
そういう会社がまだまだ山ほどあることに
痛烈なもったいなさを感じています。

正しいIT・クラウドの理解が出来れば、生まれ変わったように
会社の業務は効率化でき、人にしか出来ない仕事に集中でき
ハッピーな仕事の時間を過ごせます。

人は人生の3分の1の時間、約9万時間という長い時間を
仕事に費やします。その時間を1人でも多くの方に
よりハッピーに過ごしてもらえたらと強く願っています。

しかし、私、冷泉(れいぜい)だけでは
同時にサポートできる企業は対面の場合はMAX40社ほどになります。
それでは多くの人にハッピーをお届けすることはできないです。

これまで私が培ってきた、全ての経験・ノウハウを
多くの方に伝授させていただき、よりたくさんの方に貢献することで
結果、日本の力の向上につなげたい。

若者の自殺が多い、電車は目が死んだ大人の方ばかり
過労死、それなのに先進国では生産性が悪い。。。
そういう日本の状況を皆さんと一緒に打破していきたい。
その強い思いで、ITコンサルタントやIT活用サポート
ChatWorkやGoogleの活用サポートを仕事にしたい方に対して
ドキュメントや資料やノウハウを全てアウトプットしていきます。

ノウハウは、一般的なコンサルティングとは別物になります。
顧客に専門的な知識・技術を的確に提供することはもちろんですが
分かりにくい IT・クラウドという技術を、分かりやすく翻訳する。
という側面が強いです。

分かりやすく理解していただき、効果的に実践いただけるように
ヒアリングを重ね、構想を組み立て、分かりやすい言葉で伝え
課題が解決することで大きなメリットがあることを知ってもらい
モチベートすることが重要です。

貴方のスキルとしては、経営者からの相談を受けた経験や
何らかのコンサルティング経験があれば十分に可能です。
まず低いハードルからという場合は、やる気があれば可能です。
そういうプランも用意しています。
ITやクラウドに関する知識・技術については
資料や動画を通して得ることができますし
冷泉(れいぜい)が適宜、チャット等でバックアップいたします。

日本の「本当の働き方改革」で
たくさんの方に笑顔を届ける仕事をしたいです。
ご連絡をお待ちしています。

私の独立と、IT参謀への思い
https://www.gmsouken.co.jp/blog/2019/03/12/entrepreneurship/

IT参謀:ホームページ
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チャットワーク
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facebook
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ご相談・お問い合わせ
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冷泉の職務経歴書
https://www.gmsouken.co.jp/blog/2017/11/25/resume/

【言うことを聞いて、聞かないでOK】

ものごとって、なんでも順序が大事じゃないですか。

「いや、知らんね。俺は俺のやり方を貫くぜ」
っていう人は、今回の話が進まなくなるから
とりあえず黙って読んでください。

順序って大事なんですよ。

道ですれ違った見知らぬ人が
たまたまタイプだったからと言って
いきなり「好き!付き合いましょ!」
って言っても、汚いものを見るような目で見られるか
最悪の場合、警察を呼ばれるかです。

でも、誠実に、段階を踏めば
まずはお友達になれるかもしれません。

もうお分かりですね?
自分の望みを叶えるには、仕事でもなんでも順序が大事です。

先輩や上司から仕事を振られたら
まずは指示通り、相手にとっての100点満点に仕上げます。
指示の時点で「こうしたほうがいいやんけ、やっとこ。俺デキるw」
と思っても、時期尚早です。

いきなり「好き!付き合いましょ!」って申し込んでも
相手は応えてくれないんです。

自分のああしたい、こうしたいを出すのは後。
まずは相手の期待に応えてから
「ところで先輩、これこうしたら100点が600点になりますよ。」
いったん相手の言うことを聞いてから、我を出す。
これです、この話の持っていきかた。

どうしたら自分の望みを相手が気持ちよく受け入れてくれるか?
柔軟に、賢くいきましょう。

ITサポートやITコンサルティングを仕事にするなら、IT参謀

【新しいことを取り入れないと死ぬ世界】

この白線から落ちたら死ぬゲームー!
うおっ!あっぶねーー!!
今のはセーフ!
ちょ、押すなって!おい!押すなって!!
ちょ!あー!!!
はい死んだ〜。

こういう遊び、小学生の頃とかしませんでしたか?
もしくは、こういう遊びに興じる男子を
冷ややかな目で見たこと、ありませんか?女子。

あ、ありませんか。
昭和に生まれた僕たちは、毎日のように
ちょっとでも落ちたら死ぬスリルを味わって登下校してました。

こんにちは、IT参謀の加藤(冷泉)です。

マリオなら、1UPキノコをとれば残機が増えます。
しかも99機までストックできる。
調子に乗ってBダッシュスタートをかまして
最初のクリボーで死んでも、すぐに復活できます。

でも、『この白線から落ちたら死ぬゲーム』は
そんな生易しいもんじゃありません。
1回でも足が出たら、即アウト。即死です。
残機ストックも、復活の呪文もなしです。

仕事のやり方も同じです。
「今までずっとこうやってきたから」
と言って、変化を受け入れずに慣習に縛られ続けてるのは
すでに白線から落ちてるんです。

落ちた先は、即死です。
社会の中での即死って、なんでしょう?
倒産です。
嫌な言葉ですね、倒産。
僕はこの会社を危うく潰しかけたことがありますが
二度とあんな思いはしたくないです。

こうして持ち直したのは、今までのやり方を変えて
柔軟に対応できたからだと思っています。
どんどん新しいことを取り入れたり
やり方を見直して、変えていかないと
時代に取り残されます。

そして、残念なことに歳を取れば取るほど
白線から落ちていることに気づかない人が多い。
ちょっとでも足が出たら死ぬような
命がけの白線を渡り続けるのではなく
「なんでわざわざそんな危ないところ歩かなきゃいけないの?」
ぐらいの気持ちで、安全な道を敷いて歩いていけるのが
感覚が鋭くて、情報感度も高い若い世代です。

ちょっとずつ“カイゼン”、なんて言ってる場合じゃなく
思い切った抜本的な改革にぜひ取り組んでほしいと思います。

もし、その改革案に会社が耳を貸してくれないなら
残念ですけど、その会社は遠くないうちに
社会的にお亡くなりになるでしょう。
そうなる前に諦めずにやってほしいところです。

ところで、令和の時代になると
この白線から落ちたら死ぬゲームも
リアルに再現できちゃうんですね。
技術革新ってすごい。

IT化・DXのご相談はこちらから「ITアドバイザー」

【業務効率を悪くしている人は悪人】

こんにちは、IT参謀の加藤(冷泉)です。

皆さん、ドロボウってどう思いますか?

会計してない品物を隠し持って、店を出る。
コンビニや銀行からお金を奪い取って逃げる。
ベランダに干してあるパンツを盗む。

ドロボウっていうと、ちょっとかわいい感じになるけど
要するに、窃盗罪とかで捕まるアレです。
大人の皆さんは、アカンことだって分かりますよね。

じゃあ、時間ドロボウはどうですか?
他人の時間を奪う、時間ドロボウ。

真っ先に浮かぶのは、遅刻とかドタキャンとか
直接的に相手の時間を無駄にすることかもしれませんが
業務効率を悪くすることで、間接的に相手の時間を削ることも時間ドロボウです。
仕事では、関わる人が多いぶん、大罪です。

会議の資料を事前に読まずに、適当に出席して
当日、会議の流れを止めてしまう人。

必要な業務コミュニケーションを怠って
プロジェクトの進行を遅らせる人。

こんな人、身近にいませんか?
もしかしてそういう人に自分がなってませんか?

100人の会社で、1時間のロスを作れば100時間。
誰かの、家族と過ごす時間・勉強する時間・趣味の時間…
そういう機会を奪う時間ドロボウ
僕は人殺しくらいに、悪だと思っています。

そういう人になってしまわないように
業務効率はいつも意識してほしいと思います。

私のサービス:ITアドバイザー

街の商店にふらっと立ち寄るように気軽にITの相談ができる存在。さくらさく商店

「ITシステム」と「お金」と「労務管理」に強いのが売りです。

さくらさく商店代表の小櫻 頼信(こざくら よりのぶ)です。

私は高校生のころから、いつか起業することを心の片隅に置き、
キャリアを形成してきました。大手信託銀行に勤めたのちIT企業に転職。
そこで労務の重要性に目覚め、次に勤怠管理のシステムやサポートを行う会社で
社労士のコミュニティサロンを一から立ち上げました。

「ITシステム」と「お金」と「労務管理」、この3つは
これからの企業経営を支える屋台骨になると確信しています。
でも、この辺りにたくさんの問題を抱えながらも
日常業務の忙しさから、ほったらかしにしている企業がとても多い!
そして、僕はそんな問題を解決していくのが生きがいで、大好きなのです。
それはなぜか……まずは、今までの経験からお話させてください。

●転勤が嫌で、いつか起業を!と決意

小さいころから親が転勤族で、生まれてすぐにアメリカに飛び、
帰ってからも数年おきに転々と引っ越しをせざるを得ない状況でした。
友達が出来てもすぐ別れないといけないし、
新しい学校ではまた新たな関係を築かなくてはいけない。
この生活が私はずっと嫌でした。

あるとき、転勤先できた友達の家に遊びに行ったら、
そこは何代も続く老舗のお豆腐屋さんでした。
家にはいつもおじいちゃん、お父さん、お母さんがいて、
わいわいと楽しそう。友達と別れる必要もない。
これはいい! こういう生活がしたい!
私は将来会社員以外の仕事をしよう。子供心にそう決めました。

高校時代には、転勤のない仕事なら公務員がいいと目論見ました。
それに空への憧れもあったので、卒業したら自衛隊のパイロットになろうと、
自衛隊の採用部まで行きましたが、視力が悪いから無理だねと……。
門前払いでした。(笑)

そこで、子供時代の豆腐屋さんの友達を思い出し、そうだ、いつか起業だ!
と漠然と思いだしたのです。

そこで大学は、いつか起業するならお金が大事だろうと経済学部を選び、
リーマン・ショックで就職が厳しい中、なんとか大手信託銀行に就職しました。

●相続で「人の役に立つこと」の喜びを経験

銀行での仕事は、富裕層への投資の提案や相続の相談に乗ることでした。
本当は、投資信託や保険を売るのが評価のメインだったのですが、
私自身、お金だけを運用していくのがあまり好きになれなかった。
そこで、周りが嫌がる、手間がかかり調べるのが大変な、
相続の仕事ばかりをやっていたんです。

こちらは、相手の資産状況を聞き出さないといけないので、
時間をかけて信頼関係を作らなければならない。
誰に何をどう残したいか、家族関係や抱えているいざこざまで踏み込み、
資産、不動産、保険、何で残すのか、状況に合わせて内容を組んでいく。
だから、決まった金融商品を売るよりも大変なのです。

場合によっては嫌がられる話で、とてもデリケート。
でも、何かあったときに、みんなが揉めないように想像してもらい、
ちゃんと遺言を残しましょうと提案をする。
手を抜かずに問題と向き合い、クライアントの信頼を勝ち取る。
そんな業務に私はとてもやりがいを感じ、のめり込みました。

結果、相続で同僚の倍以上売り上げていました。
部署的には、違う金融商品を売ってほしかったと思いますが……(笑)
でも、僕はここで、相続のスキルだけでなく多くの経営者と出会い
人間関係を築くことができたのです。

あるとき、相談の途中で亡くなられた方がいたのですが、
亡くなった日にご遺族から呼ばれ、ご遺体と面談させていただき、
その後の相続の処理も任せたいと頼まれました。
今でも、このとき出会った社長さんたちとは交流があり、
みなさんから「最近はどうなの?」と気にかけていただいています。

こういった経験から、私は小難しくて面倒くさいことを、
誰かの代わりに調べ、相手の立場でお手伝いする、
そんな仕事が向いていることに気が付いたのです。

●IT企業でIPO準備担当。労務の重要性を知る

6年間相続業務を経験しましたが、銀行は転勤が必須の職場。
長くいても異動があるし、大きな企業だと一部の仕事しか任されません。
そこで、次にウェブサイトやシステムの受託開発をする会社に転職しました。
ここでは、営業をして自社商品のことを理解したのち、
管理部に回りIPOのための一連の準備を担当しました。

IPO準備には、当然社内の労務管理を見直し、
問題点を見つけて改善しなければなりません。
その作業の中で、人事や就業規定、給与、労働時間、
これらの体制が、ちゃんと法に沿って運用されていないと、
実は多くのリスクをはらんでいることがわかりました。

この重要性に気付き、こういった問題を解決するには
労務や勤怠のシステムを学んだ方がいいと思い、
次に人事労務のコンサルティングも行う、システム開発の会社に転職しました。

そして、より多くの企業の労務管理をサポートするにあたり、
社労士は欠かせない存在だと気付いたのです。
彼らをバックアップする会員制コミュニティを立ち上げ、
会員を集めて、多くのセミナーを開催し情報交流の場を作りました。

銀行でお金と相続を学び、IT企業で労務管理を学び、
勤怠管理システムの開発会社で社労士のコミュニティを作りました。
蓄えた「ITシステム」と「お金」と「労務管理」の知見を生かして、
誰かの役に立ちたい。

みんなが面倒くさくて、ついほったらかしにしている問題に対して
手遅れになる前に解決策を見つけて提案していく。
IT参謀として、私はそういうお手伝いがしたいのです。

そして、企業家を助けながら、いつか自分も起業を実現させたい。
一生転勤のない、得意分野で誰かをサポートできる仕事をやり続けたいのです。

小櫻 頼信(Yorinobu Kozakura)
さくらさく商店 代表

街の商店にふらっと立ち寄るように気軽にITの相談ができる存在。

【セキュリティの重要さは増すばかり】

こんにちは、IT参謀の加藤(冷泉)です。

「僕、アルバイトォォォォォ!!」

いきなり叫びだして、冷泉はついに頭がおかしくなったと思いましたか?
大丈夫です、もとからおかしいです。

若い人にはあまり馴染みがないかもしれないけど
2008年に、コンビニ強盗に遭ってしまった55歳のアルバイト店員が
犯人を撃退したときの名台詞です。
アルバイトだからレジを開けられない、ということを
半狂乱で叫び、カウンターに乗ってマウントを取る姿に
犯人は恐れをなして、何も取らず逃げたんです。

セキュリティ対策って、こういうことです。

さすがにもうちょっと説明しますね。
サイバー攻撃って、秒単位ですごい数アタックされてます。
企業のネットワークが狙われて、個人情報が流出なんてしょっちゅう聞きますが
これからは個人も狙われる時代です。

しかも、攻撃手段はどんどん高度になっていって
どれだけ対策してもいたちごっこです。
防ぎきれないんです。
なので、万が一攻撃されても大丈夫なようにしておくこと。

そうです。
「僕、アルバイトォォォォォ!!」
ばりの反撃を用意しておくんです。

そのためには、敵の手口を知っておくこと。
こないだ話した情報戦です。

どういうところが狙われやすいのか
どんどん巧妙になっていく手口のいろいろ
上手に検索して、セキュリティに関しては物知りになっておいてください。

【ググレカス!ググレクズ!検索上手になろう】

こんにちは、IT参謀の加藤(冷泉)です。

「日本の夜明けぜよ」
とは、かの有名な坂本龍馬の名言。

ではありません。
時代劇映画「鞍馬天狗」に登場する幕末のヒーローが言ったセリフです。

龍馬の言葉として確かなのは、姉に送った手紙
文久3年6月29日付坂本乙女宛書簡に書かれた
「日本を今一度せんたくいたし申候」
なんです。

今の今まで、坂本龍馬の言葉だと思ってませんでしたか?

こういう思い込み・思い違いって、結構あります。
ちゃんと調べもせず、一般に広まったことを疑わない人が多いんです。

自分で調べて、確かな情報を得ることからIT活用は始まってます。
知らんけど。

ちなみに昔は、調べないで「教えて」なんて言おうものなら
「ggrks」
と即座に怒られたものです。
ググレカス、ですよ。
なんならググレクズと言われます。

情報を制するものは戦いを制する。
っていうのは戦争の歴史も証明してます。
いち早く相手の情報を掴んだ方が絶対的に有利なんです。
情報戦に負けた時点で敗北は決まったようなもんです

だから、ちゃんと調べられる人は、それだけですごい。
めちゃくちゃ大事なスキルです。

僕はGoogleの検索機能は神レベルだと思っているので
これを使わないという選択肢はないと常々思ってます。
あとは、欲しい情報を引っ張り寄せる検索能力さえあれば
これからますます加速していく情報社会を制したも同然。
欲しい情報を、スピーディーに正確に手に入れられる検索上手になりましょう。

どうやったら検索上手になれるか、ですか?

ggrks!!

ITサポートやITコンサルティングを仕事にするなら、IT参謀

【ITは、知識ではなく活用を意識】

こんにちは、IT参謀の加藤(冷泉)です。

突然ですが皆さんは『ITを使いこなす』って、どういうことだと思いますか?

ITに関するニュースを日々チェックして、業界動向を常に把握すること?それとも、次々と生み出されるITツールを知り尽くしていることですか?株価を読んで、業界の行く末を長期予測するという人もいるかもしれません。

どれもすばらしい心がけですが
残念ながら、それだけだと日本は終わります。

確実に、終わります。

ITは、“知っている”ことよりも、どう活用するかを考え抜くことの方が大事です。
誰がなんと言おうと。

上司が
「きみ、そんなことより我が社の伝統を重んじなさい!」
などとぬかし…おっしゃったとしても、そこは「自分たち若い世代が悪しき習慣を断ち切って、革命を起こさなければ!」くらいの気持ちで切り拓いてください。

だからといって、ジャンヌ・ダルクにでもなったような気持ちで旗をひるがえし、力押しの革命を起こしてはいけません。
今の業務にどう活かせば、生産性を10倍・100倍にできるのか。
もちろんコストパフォーマンスも大事です。
コスパ・効率・生産性、最も結果が出るようなアイデアを出して、上司を納得させる筋書き、作戦を考え抜く。それでこそ、IT参謀です。

参謀を『広辞苑』で引くと

―  作戦・用兵その他一切の計画・指導にあたる将校。転じて計画・作戦を立てる人。

と書いてあります。

そうです、たくさんの知識を持っていることが参謀ではないんです。
伝統とか慣習にとらわれずに、会社の成果につながる作戦を立てること。

そういう若いIT参謀が、次の時代を担っていくと思ってます。

IT参謀はこちら

日本のIT活用レベルを底上げしたい。株式会社グッドマネジメント総合研究所

何のために生きているのか、毎日、頭の中で唱えています。
生まれてきた理由は無いですが、生きる目的は自分で決めることができます。
情報が溢れかえる世界、情報は嘘がいっぱい散りばめられていて
誰かが誰かを支配したり、お金や立場や物質を追いかける人ばかり。
普通に過ごしていると、その大きな流れに自分も少なからず支配されます。
人生の主人公は自分自身、一人ひとりが主人公。
自分自身が主人公でもありますが、人の人生にも貢献したい。

僕の生きる目的は「喜楽」を人にお届けすること。
一生やり続けます。狂った花咲かじいさんになりたいのです。

17歳、人生の転機

僕は17歳まで不良少年でした。
ある時、左手を大怪我して(左手に餃子が入るくらい)
親指以外の4本の指を切断しないといけない状態になりました。
病院は「壊死する可能性があるし、切断しなかったとしても動かないよ?」と
何度もなんとかならないかと頼み込んだところ
手の神経の名医をご紹介いただけることになりました。

ご紹介いただいた先生は、本当に素晴らしい先生で
人様に迷惑ばかりかけてきた僕を全力で治してくれるのです。
長期間の検査、長時間の手術、1年以上のリハビリ
お陰様で左手はベースが弾けるレベルまで回復。
それともう一つ、大きな大きなプレゼントがありました。

僕は先生の治療を受ける中で
人の役に立つことの素晴らしさを僕自身の体で体験しました。
僕もこの先生のように人の役に立てる人間になりたい。
17歳の僕に生きる目的を考えさせてくれたのです。

ITの世界へ

でも、何で人の役に立てば良いのだろう?
それから、毎日そのことばかり考えるようになりました。
絵画くらいしか特技が無いし。。。
あ、コンピューターグラフィックなら
デザインやPCの部分でたくさんの方に役立てるかも!閃きました!

高校在学中は右も左も分からないままパソコンを触り
高校卒業したら迷わずコンピューターの専門学校に入学して
寝る間を惜しんで勉強しました。
専門学校在学中にチラシやロゴマーク、動画などの仕事を
格安で良いからやらせて欲しいと仕事をいただいて
お小遣いをいただいていました。
請求書や領収書の存在も、その時、初めて知りました。
時給100円くらいの無茶な仕事もしました。

専門学校を主席で卒業した僕は
若気の至りでいきなり独立することにしました。

もちろん全然売上が立たず
ひどい時は、月商3万円の時とかありました。
22歳の時には家を出ることを決めていたので
なんとか頑張っていたら運良くChatwork社の創業者と出会い
たくさんの仕事をいただけることになりました。

Chatwork社の創業メンバーとしても迎い入れていただき
様々なIT・WEBサービスに触れ、作ってきました。
そこで痛感したのは、ITは使い方で人を幸せにするものなのに
みんな知らないということです。
Chatwork社としてもIT活用を日本に広めようと
様々な手法で奮闘していました。

ITサポートは僕の一生の仕事です

そこで、僕がITコンサルティング・ITサポートの部隊として
2011年に独立することになりました。
この記事を書いているのは2021年なので
10年経過しているのですが、まだまだIT活用は日本に必要です。
無数にあるITツール、IT知識、それらをお客様に合うように
知識や使い方をお伝えしていくことで
魔法のように業務効率が上がり、経営も改善し
お客様の自由な時間が増えます。

こんな良い仕事は無いと自分では思っていて
形は変わっていくことはあると思いますが
死ぬまでITで、皆様のお役に立ちたいです。

僕にはたくさんのIT仲間がいてくれています。
かなりの守備範囲で、サポートできますので
どんなことでも気軽にお声がけください。

難しいイメージのあるITを、簡単にお伝えする
翻訳家としての仕事でもあるので
パソコンに詳しい親戚みたいなノリで
仲良くしてもらえたら嬉しいです。

加藤 利彦 (Toshihiko Kato)
株式会社グッドマネジメント総合研究所 代表取締役 IT参謀
フリーランスのデザイナーを経て、Chatwork株式会社へ創業メンバーとして入社。2008年に常務取締役に就任。経営全般に関わりながら、1,000社以上の中小企業のIT化サポート。2011年にChatwork株式会社のグループ会社(現在は資本関係なし)として独立。日本初のGoogle公式オンラインリセラー。

どんな環境でも誰もが特技を発揮できる舞台を用意したい!―CHECKI株式会社

IT参謀コミュニティ担当のCHECKI株式会社 代表取締役 中川亜紀子です。みなさんに『アッキー』と呼ばれています!どうぞお見知りおきを。

2020年10月20日に法人を設立しました。事業は『社長のマネージャー業』です。社長が社長の仕事に専念でき、100%得意を発揮できるそんな環境づくりをバックオフィス業務を通して提供しています。

バックオフィス業務と言っても幅広いのですが、私達は営業に特化した業務を得意としています。

「どうすればクライアントの先のお客様にとって最適なサポートができるのか?」

そんな視点からバックオフィス業務の仕組み化をし、ルーチン化した事務とカスタマーサポート業務を代行。クライアントとともに同じ目的、目標に向かって一丸となるチームづくりをおこなっています。

業務の話はそんなところで…。この仕事が生まれた背景を生い立ちとともにご紹介できればと思います!

1999年(18歳)―地元に就職することが嫌過ぎて進学を希望!初めて就いた仕事は…?

地元の商業高校ではバレーボール一筋でした。現役を引退してもなお、後輩のサポートと言い卒業ギリギリまで部活動にのめり込みました。

商業科では成績が上位だったこともあり、先生は地元の信用金庫への就職を勧めました。

しかしながら、コツコツ同じ作業を繰り返すイメージだった金融系の仕事には全く興味がなく…

ふと小さい頃旅行に行ったときに見たホテルで働いているお姉さんの姿を思い出し「あれなら私もできるかも」と思ったのです。

大学には経済的に無理!大学への進学は選択肢として持つことができなかったので、専門学校に奨学金制度を使って入学することにしました。

この専門学校で用意されていたプランが私の希望にピッタリでした。

ホテルで働きながらその寮に住まわせてもらえて夜間部の授業を受けられる。

半分自立しつつ、知識やスキルを習得できるだろうと思ったのです。

早く一人前になりたかった私は、愚直にウェイトレスを朝から夕方まで。

17時になると急いで着替えマッハで専門学校へ向かう。そんな日々を2年間過ごしました。(マッハってw)

いえ、2年間のうち半年だけ「一度だけ違うホテルでも働いてみたい!」という興味といいますか、欲求が出てきて、外資系のホテルでアルバイトをすることにしました。

ですが、印象としてはこうです。

お客様におもてなす側なのに…バックヤードに行ったら二重人格かと思うほどに罵声の嵐。

口が悪いというか、表と裏で様変わりするところがすぐに嫌になりました。

また、成果主義であることは社員の会話ですぐ察知しました。

日本の古くからあるホテルで働いていた私には、成果を出すことの意味もわかりませんでしたが、自分が成果なんて到底出せるとも思っていませんでした。しかも、会話が英語だったし…

また、成果が出せないと思うとすごく怖く感じました。

2社目のホテルを経験したうえで、もと居たホテルへ就職することを決めたのです。

2001年(20歳)―ホテルに入社したものの半年足らずで退職を決断!その後…

社会人としてのキャリアは、アルバイトを経て入社したホテルから始まります。

配属は、宴会部(宴会会場をセッティングしたり配膳したりする部署です)

アルバイト時代とは勝手が違い、宴会部の体育会系な雰囲気がどうにも馴染めなかった。

もともと部活はやっていたので体育会系が良かったはずのに…仕事になるとどうしても嫌だったのです。

直属の女性上司とうまくコミュニケーションが取れず、怖いとさえ思っていました。

「本当はブライダルに行きたかったのに…」

そんな心の声を毎日言い訳のようにして…

日に日に体力が持たずキツイしアトピーは出てくるわで、半年足らずで「もうやめよう」と決めました。

会社の方針でブライダルプランナーを希望しても専門学校卒ではその部署にダイレクトに配属されることは無く、ある程度現場を経験したら異動が叶うかも知れないと言われていました。

そんな悠長なことを言っていられず、退職の希望を上司に伝えたのです。

幸い、学生時代から同ホテルで働いていたことで人事部との接点も多く、その頃人事から宴会部に異動された当時の副支配人に「それなら宴会予約課で働いてみる?」(※ブライダルプランナーの所属は宴会予約課です)と、声をかけてもらい、二つ返事で異動させてもらうことになりました。

その頃、世間でもブライダルプランナーという職種は人気があり、ドラマ化されたりして私の目にはとても華やかな世界に映っていたのです。そんな華やかな世界に関わりたい!と。

しかし、宴会予約課に異動はしたものの、そう簡単にブライダルプランナーになることはできませんでした。

見習いだと言わんばかりに、ベテランアルバイトさんの指導のもと宴会予約課の受付業務を担当することになりました。

いわゆる、社員だけどアルバイトのお姉さんに業務を教わり、見様見真似で覚えていく。そんな環境でした。

「プランナーになりたいのになれない、どうしたらなれるやろ?」私の心は、その1点に集中していました。

せっかくチャンスをもらったのだから、ここでやっていくしかない!

ここで喜ばれることを増やすしか無いんだと、人が面倒くさいと思うことを全部やることにしました。

気持ちは崖っぷちで、辞めると言ったところを拾ってもらったので意欲を見せないといけない!そのためでもありました。

また、この会社ではアルバイトと社員では全く扱いが違っていました。

アルバイトさんでもできる仕事、それはつまり半人前なのだという気がしていました。

そこから抜け出すためにプランナーになる!

それは私にとって一人前になるということに繋がっていました。

宴会予約課に配属されて半年くらい経ったころ、地道に雑用をこなし、先輩に「雑用も立派な業務です!」と言い切れるくらい課の一員にはなれた気がしていたタイミングで、ブライダルプランナーへの道が開けました。

先輩のお客様への対応に同席させてもらったり、実地で学びつつ2〜3ヶ月後には独り立ちしていました。

はじめてのお客様対応は今でも鮮明に思い出せます。

2002年(21歳)―ブライダルプランナーデビュー!冷や汗の初受注

初めて結婚式を受注したのは、まだぴよぴよの21歳の頃。その頃の私には見積り金額が大きすぎて冷や汗をかきながら対応していました。

お金に対する概念が偏っていたことにあるかも知れません。

「お金はないんだ、使うな、気をつけろ!」これは祖母の口癖でした。

私にとってお金はあまりいいものではなく、怖いし、取り扱いたくないものとしてカテゴライズされていたのです。

しかしサービス提供は別物です。

私はプランナーとして、そして各セクションみんなで結婚式を成功させるもの。そう思っていたので、そこまで重圧はなかったです。

この最初のお客様には本当に喜んでもらえて、新婚旅行後におみやげまでいただき、めちゃくちゃ嬉しかったです。

ここで、一人の人として認められた感じがしました。

成績は良い方ではなく、1件、2件と、ぼちぼち受注していました。

そのころ、3年付き合った9歳年上の彼との結婚式を迎えることになりました。

正直、自分の結婚式の準備よりお客様の準備の方が楽しかったんです。

あまりテンションが上がらなかった…その原因は色々ありますが、一番大きかったのは、新居を彼のお母さんと決めて帰ってきたという事件があり、「あぁ、年も離れているし私が何か言ってもきっと覆るんだろうなー」という諦めが先に来てしまって。

とにかくお客様の対応のほうが楽しい。

日々の業務改善にも成長を感じられたし、そういった提案をすることも楽しかったんです。

まぁ、なかば結婚に関してはふてくされてたって感じです(笑)

結婚式は事なきを得、結婚生活がスタートします。

仕事はすっごく好きだし楽しかったけど、一応家庭のとのバランスを取るようになっていました。早く帰るとか…。

結婚生活において、また旦那さんとの関係性においても、本当の意味で大事にされることは諦めていました。どうせお母さんが大事だろうしって一歩引いていました。

仕事は淡々とやる感じ。

だけど、新規の受注ができないことへの悔しさはありました。

悔しさはあるけれど…結婚によって自分自身の仕事に対する意識が変わっていくことに深く自覚はしていませんでした。

2004年(23歳)―1.5年の結婚生活に早くも終止符、成績はうなぎのぼりで絶好調!?

自覚したのは、1年半後。離婚した直後です。

もう、水を得た魚のように仕事が楽しく楽しくて。

成績もいつのまにかトップへ!毎日遅い時間まで仕事に明け暮れていました。

関係するセクションの人たちとの連携も強まり、お客様からのありがとうはみんなで作り上げた結婚式に対する感謝であり、代表してありがとうをもらっているんだという気持ちが出てくることにこの上ないやりがいを感じていました。

そんな無敵時代も長くは続きませんでした。

他のホテルへの異動が決まっていた先輩の個人的な理由により、ブライダルに力を入れていないホテルに私が異動することになってしまったのです。全く納得できず心の整理がつかないまま異動初日を迎えることになりました。

宴会予約課。

同じ部署名でしたがこのホテルでは一般の宴会案件が多くブライダルの年間実施件数がもと居たホテルの半分以下でした。

そんな中、「私ブライダルの申し子ですっ!」って感じのキャピキャピ星人みたいなスタッフがおりまして。

理不尽なやり方で人のお客様を騙してでも全部自分のお客様にするという荒業を使い、またそれが上司含め誰に注意されるわけでもなく野放し状態だということが一瞬でわかっちゃったんです。

理不尽で嫌だった。

ヒエラルキー?何派閥?そんなのが嫌で嫌でとうとう自分が鬱になっってしまったのです。

10ヶ月くらい休職したのち、もとのホテルにブライダルプランナーとして戻ったのですが、気持ち的に前ほどはできなくなっていました。

でも、一人前になるには仕事しかない!

そんな思いがあり、プランナーの仕事だけじゃなく、エージェントへの営業で外回りをしたり、数値管理の業務を行ったりといろんな業務にチャレンジしました。

ですがそんなチャレンジも虚しく、会社の制度により残業もサービス残業も厳しく規制されるようになりました。

上司は口うるさく「早く帰れ」と言うようになりました。ほぼ残業代で食いつなげるくらいの月給だったのに、ついに経済的に苦しくなって転職することを決めたのです。

2007年(26歳)―ミーハー根性丸出しで大手広告代理店に転職

どうせ転職活動するなら「行ってみたい!」「やってみたい!」とテンション上がるところにしよう!というのが動機としてありました。

そのなかで目に留まったのは某大手広告代理店。

3年契約で満了時は「卒業」とされ、独立支援を受けることができるという目にも新しい募集要項に胸が踊りました。

この会社って誰でも知っているし〜というミーハーなところも否めないのですが、今まだBtoCかつ結婚式でリピート客というのは普通ありえないので、BtoBで同じお客様とともに歩んでいける仕事をしたいと思っていて、ここではそれが叶うと思ったので悩むことすらなく応募しました。

一般常識テストも圧迫面接もボロボロだと思っていましたが、スルッと受かっちゃって。

もうそれは嬉しくて、なんならもうゴール切ったんじゃないかってくらいのテンションになっていました。

仕事は営業。

フリーペーパーの営業がメインの業務です。

研修期間を終えて営業に出た直後、先輩たちが取りこぼしていた案件がパタパタっと数件取れてしまったんですね、、、ブライダル業界の出身者がいなかったこともあり、人が変われば違って聞こえたりもするということで。

営業で受注したところまではいいんだけど…ここからが悪夢でした。

何から何まで自分でやらないといけなかったのが本当に辛かった。新人には編集アシスタントがつくはずもなく、記事のライティング、クーポン企画などなど。しかも、原稿に集中していると「昼間は営業に出ろ!」なんて叱られたり…

1年弱でうつになりました。

休職するも、復帰を迫られた時期に「私には成果を上げることは出来ない」と思って戻るという選択はしませんでした。

はじめての転職はこうして幕を閉じたのです。

2009年(28歳)―ミーハーは続くよどこまでも…で、目に留まった大手小売店へ

この頃、2度目のうつを発症したことにより住まいを実家に移していました。

祖母と母との3人暮らし。

症状が落ち着いた頃、実家から通える職場を探しました。

そこで見つけたのが実家から車で20分ほどの大手小売店。

ちょうど、コンビニのように服を売るというコンセプトから、しっかり接客するスタイルに変わっていったタイミングでした。

ここではブライダルのときの経験が活かせました。

その後店長が変わって、私と他2名の店長代理にあてつけのような暴言を吐くような人で、店長代理として一番下っ端の私は、「すみません…」といつも謝っていました。

そうこうしているうちに3度目の鬱になりました。

騙し騙し出勤と休みを繰り返していましたが、30歳手前。

この先の人生どうする?という自分自身への問いに対して出た答えは・・・?

2012年(31歳)―独立開業するも半年であえなく廃業

もう誰かの下で働くより自分でやろう!

最初の転職のときに一度は夢見た起業。どうせなら今が一番若いんだからやっちゃえ!

って、たいした計画もしないままよもぎ蒸しのサロンを開業しました。

弟の当時の彼女ちゃんから勧められたネットワークビジネスでした。

西宮で2LDKのマンションの一室で半分をサロン、半分を住居としてオープン。

設備には250万ほどかかりました。

サロンを始めたきかっけは、自分自身がもともと子宮に疾患がありその治療目的としてよもぎ蒸しのサロンに通っていたことにあります。

周りにも生理痛が酷いとか、不妊治療中など、女性特有の悩みを持った女性が多く居たので、そんな女性のためのサロンにしたいと思っていました。

しかし実際には「痩身でなければ集客できないよ!」というネットワークビジネスの人たちのアドバイスを受けて、意図しない方向での集客をスタート。

毎朝5時か6時には起きて1,000枚近くポスティングをする日々。それで集客できたお客様は月に1人いるかどうかでした。

ネットワークビジネスの人たちとのミーティングも多く、独立したにも関わらず自分でやっている感が全然なかったのです。

半年経つ頃には、経費がかかる割に売上が上がってない。

毎日実家から送ってもらった白米ばかり食べている生活。

「何がしたかったんだろう…」

これはもう一度出直すべしだと開業から半年で廃業届を提出し、再び実家に戻る決心をしたのです。

2013年(32歳)―ひょんなことからITベンチャーへ転職!

廃業届を提出したころ、某大手広告代理店の同期から一本の連絡が入りました。

「あきさんさ、実家に帰るってSNSに書いてたよね?」と。

それがきかっけで、友人の社長さんが人探しているから手伝ってやってほしいという話になったのです。

業種はIT。

「いやいやいや…30も超えて全く知らん業界なんか行けるかい!」

って、断るつもりでいたにも関わらず、「どうしてもダメ?」というその彼特有の暑苦しさ(?!w)いえ、熱意にやられ、話だけ聞いてみることにしたのです。

IT経験がなくても大丈夫です!

という言葉にやられ、また、私としても田舎に帰らずこっちに残れるからいいか!という思いで入社を決めました。

創業メンバー3人のうち、2人が辞めていくという環境下で、ITのことも全くわからない、社長に聞こうにも営業に出ていて聞けない、聞けた!と思ったら「ググってください」って。

その頃の私は、ググるって意味も知らなかったんですよ。

仕方ないので、提携先のパートナーさんに電話しまくり大作戦です。

「すみません…見当違いなこと聞いていましたら許してくださいね〜。というかこの言葉の意味がまず理解できていないのですが…」と、相手にしたら、そういうの社内で解決しておけよって話だったと思うのですが、もう必死のパッチでした。

心優しいパートナーさんに助けられ(しつこいから呆れられてたと思いますけど)、おおかたITというのはこういうもんだろう〜くらいの概要がわかってきた頃、今度は矛先が社長にいきます。

これまでの鬱憤が溜まっていて、若造社長の一挙手一投足、何もかもに腹が立つ。

怒りの矛先全集中状態でした。

今となっては何がそんなに気に入らなかったんだろうと思うくらいに怒ってました。

「やっぱり入るんじゃなかった…」と、1年8ヶ月ほどで退職しました。

ITはもうごめんだ。

イチから学ぶには遅すぎる。そう思い、接客が活かせるアパレル系で転職活動を始めたのです。

2014年(33歳)―IT業界を”あったかくする”という野望

仕事が決まるまでは派遣社員として某食品メーカーのお歳暮時期の伝票整理業務などで生活をつないでいました。

ありがたいことに、いくつかオファーをいただくこともありましたがピンと来ず…

ですがその後ご紹介いただいてお会いしたこれまたIT業界の社長さんの言葉によって、今までの自分を活かすことができるかもしれないと思い、入社することを決めたのがChatworkのグループ会社(加藤さんの会社)でした。

私はもともとITに対する偏見がありました。

お客様と直接やり取りをすることに価値があるという信念でホスピタリティ、営業力、接客力の向上を目指してきた人間だからです。

ITなんて無機質で冷たい。

前職でも右も左も分からないまま相当苦労しました。

話だけ聞いて体よく断ろうとしていたのですが、面談のときにポロッと言ってしまったんです。

「もともと接客などをメインとして働いてきたのでITってちょっと冷たく思えてしまって」と。

すると、「そう思われると思うんですが、僕は、ITって人が使うものであって、それを冷たく使えば冷たくなりますけど、あったかく使えばあったかいものですよ」とおっしゃったのです。

このとき全部が「つながった!」と、思った瞬間でもありました。

このIT業界に、私が今まで培ってきたあったかい部分をプラスしていくことができて、IT業界が変わっていくとするならばそんな面白いことはない!と。

自分が介在することによって変化が生まれる。変化を生むことができそうだ!って思ったのです。「なんか、いけるかもー!」って。

今思えばあの社長の一言が人生の転機だったと思います。

入社後は、IT導入支援やコンサルティングをする社長たちコンサルタントの裏方として、チャットで質問に応えるカスタマーサポート業務を担当することになりました。

グループチャットの中で質問に返事するなか、メッセージ一つで血が通った感じで返事をしていくにはどうやったらいいのか、また、一回で理解してもらえるにはどんな構成やボリュームがわかりやすいのかを追求していきました。

すると、こんなお客様がいらっしゃいました。

近くに来たからと立ち寄られたお客様、「もしかしてあなたが中川さんですか?」って。

顔出ししていないのになんでだろう…と思ったのもつかの間、「あなたが中川さんでしたかー!いつもありがとう!」って言われたんです。

どうやら、工夫して書いていたメッセージはお客様の心に届いていたようで、「なんかあったかいんですよねー、中川さんのメッセージって」と言われ、会ってみたかったんですよと。

「きた―!」って思いましたね。

入社当時に描いていたIT業界をあったかくする野望の扉が開いていく感じがしました。

このときはまだ、ほんの少しですけれど。

この会社ではそんな体験を数多くさせてもらいました。

一方で、やれることが増えた私は、仕事を多く抱え込むようになりました。

体力にも限界がくるくらい働き詰めましたし、その抱えた業務を振ることができず精神的にやられていきました。

もうちょっとしたら独立しようと思っていたけれどいろんな要因が重なり心身ともに辛く、独立予定が早まったのです。

2018年(37歳)―逃げるように独立したものの…過酷な日々。

心身ともに疲れていたこともあり…最初は人と会わない仕事、ライターになりますと言って独立しました。(会わずして仕事はできないのですがw)

ライターです!といえば、資格いらずでなれるしねと。だからといって仕事がもらえるわけもなく、途方にくれかけていました。

一方で、前職では「みんなの秘書室」と命名して秘書業務、営業アシスタント、総務や庶務、人事や広報の仕事を一挙引き受けてたくさんの経験を積ませてもらっていました。その経験から、「なぜベンチャーや中小企業の社長さんには秘書みたいな存在の人が居ないんだろう?」(秘書がいる社長さんが少ないんだろう)と、思っていたんですね。

逆に、子供を生んで働きたいけど外で働けないんだよなって話している元同僚の言葉も印象的で、この両者を引き合わせることが出来たらどっちもハッピーだよな〜って。

そんな青写真を思い浮かべては現実に引き戻されていまいま生きていくにはどうするか?と、色んなツテを使いました。

最初の受注は前職のパートナーさん。次に、一度しか面識はなかったものの覚えていただいていた某有名コンサルタントさんからのライティング案件。さらには、前職時代に名ばかりの社外取締役として関わっていた会社からの資料作成案件。

どれも労働集約型で資料作成においてはパワーポイントなんて使ったことがないという始末。

今となっては笑えますが、あのときは「やります」と言ったものの…という案件が多過ぎました。

そして寝る間も惜しんで…というか、納期が迫っているにも関わらず全く着手出来ていないこともたくさんありました。寝てる場合じゃないと。うたた寝しながら資料を1ページ1ページ作っていく、間に合うかな、どうかな、ギリギリかなというあの怖さはもうやりたくないです(笑)

その日暮らし的な日常に終止符が打てるのか?

最初の1年はそんなことばっかり考えていました。

2019年(38歳)―僕を助けてください!事務に追われて寝れてません!の、ひとことから

2年目はもう踏ん張りが効かなくなってしまって…半ばいろんな事を諦めていました。

「今のクライアントさんを大切にしよう。一つ一つ丁寧に」これが合言葉でした。聞こえは良いと思います。ですが内心はこうです。

「もう無理です。ギリギリ生きていけたらいいのでもう仕事量が増えませんように」と。追い込まれていましたね。それもそのはず自分の癖でもある抱え込み病が一時も抜けることなく走り続けてきたからです。

勝手な解釈ですが”自分一人でやらなきゃ!”と言う言葉にずっと取り憑かれていたのですね。

プツンと糸が切れたように、意気消沈。気持ちだけでなくもう家賃も払えないよ…というところまで売上は落ち込みました。「あぁ、また終わるのかな〜嫌だけど実家帰ろうかな〜」って毎日ぐるぐるぐるぐる思っていました。

そんなある日、運命の社長さんと会う日がくるのです。若手ビジネスマンが集まる会食での自己紹介タイム。事業という事業になってはいなかった私の自己紹介は、仕事内容として秘書業務とかライティング業務とか、その頃はChatworkのセミナーもしていたのでセミナー講師とか〜と、伝えて「色々やられてるんですね〜」と、その頃お決まりになっていた反応をいただき終了。

ですが、その後、ある社長さんが「秘書ってどんな感じでやられているんですか?」と、声をかけてくれました。

私は新規でお仕事をいただいてしまうと忙しくなって大変になって寝れなくなって…と、マイナスなことばかり考えていたので、のらりくらりだいたいの業務内容をお話しはしたものの、「また良かったら改めてお話しましょ〜」なんて当たり障りのない言葉で終話。

しかし後日、一度お話しませんか?と連絡をいただき再会。先方の業務内容やどんな思いでサービスを立ち上げられたのかを熱心にお話くださって、「ホントお若いのにすごいな〜!こういう人が日本を盛り上げていくんだな〜」って惚れ惚れしながら聞いていました。この時点でも秘書とか事務とかってお願い出来るんですかってきっと質問されていたはずなのに…決してクロージングに持っていかないようにしていました(汗)

諦めモードって怖いですよね、ホント。人の気持ちに気づけ無いんです。いえ、気づいているのに気づかないふりできちゃうんですよね。私って、なんてヤツ!今はそう思います。

それでも先方は諦めず3度目のオファー。ここではハッキリ!「僕を助けてください!事務に追われて寝れてないんです…涙」と。私はハッとしました。自分のことしか考えていないことに愕然としたとともに、心から私で力になれることは喜んでお引き受けしたいと思ったのです。

「社長が社長の仕事に専念できる環境づくり」

まさに、起業当時ぼやーんと描いていた青写真が現実になっていく感じがして。目が覚めました。思いを持って会社をされている若手社長さんを通して、これまでいろんな会社を渡り歩き見聞きしてきたことをフル活用してサポートすることで、絶対この会社さんがやってのけたいことを達成してもらお!と、心に誓ったのです。

この会社さんと二人三脚!いえ、それどころかたくさんのパートナーさんとともに次のステージへと着実にコマを進めている感覚があります。実際に実利としても成果を上げられています。

おかげさまで、この体験を通してビジョンが明確になり、営業が得意だけどその他のことは丸投げさせて〜という社長さんのサポートが事業の軸となりました。売上を上げるためのバックオフィス業務の代行『社長のマネージャー』これを世の中に広めていきたいと邁進中です。

中川 亜紀子(Akiko Nakagawa)
CHECKI株式会社 代表取締役

営業に特化したバックオフィス最適化プラン『社長のマネージャー』サービスを提供。社長が社長の仕事に専念できる環境づくりをコンセプトに売上を上げるための業務代行サービスを行っている。クラウドツールの活用ノウハウを基軸にバックオフィスをIT化していくことが特徴。

☆2014年 GoogleAppsCertified Deployment Specialist 認定資格試験に合格
☆2016年 Chatworkエバンジェリストに就任
☆2019年 IT参謀に参画

私の独立と、IT参謀への思い

私が独立したのは2011年、29歳のときでした。
それまで営業経験なし、IT活用と人事に
少し詳しいくらいでした。
本当に無謀で、よくこれまでやってこれたと思います。

独立はしたものの、何をどうして良いかわからず
変に頑固だったので、他者からアドバイスを
求めることもなく、一切外に出ずに3ヶ月間かけて
企画書を作ったりしていました。

自分では「完璧だ!」と思った企画書を携えて
いろんな企業を回りましたが
うんともすんとも、さっぱりサービスが売れません。
毎月お金が出ていくばかりで、不安でたまりませんでした。

現実逃避をするため、お酒ばかり飲んで
ヤケクソになっていた時期も長かったです。
今、思うと本当にもったいのない時間でした。
今の自分があの頃に戻れるなら、
爆速で事業を形にできました。

そして、いよいよ貯金が底をつきそうになったとき、
方向転換をすることにしました。
作成に3ヶ月かけた企画書は一旦脇へ置いておき、
たくさんの人に会い、自分に解決できることは何かないかなど、
お話しを伺うことにしました。思い返せば、
そのことが私にとっての復活のキッカケになりました。

最初の頃は、売上欲しさが高じて強引にでも案件を受けて
結果的に、お客様から満足いただけなかったこともありますが、
お話しを伺わせていただければ、自分に何が出来て
何が結果をもたらして、喜んでもらえるか
だんだん見えてくるようになりました。

それからは、仕事が本当に楽しくなり
企画書がなくてもサービスが売れるようになりました。
お客様に喜んでもらいながら、納得の利益率を
出せるようになるまで
そこまで時間がかかりませんでした。

そしてIT活用が今の日本にとって、どれだけ大事かも
見えてくるようになりました。
(↓よろしければご一読ください)

ITコンサルタント・IT活用サポートの仕事をご一緒しましょう

皆さんと「本当の働き方改革」で
日本中のたくさんの方に向けて笑顔を届ける仕事をしたい。

IT活用サポートをクライアントへ提供しようとする
スタートの時の流れなど、
最短で何をどうすれば良いか、どのような準備と、
心構えと、動き方が必要なのか
全てを惜しみなくアウトプット&サポートをしています。

法人でも個人でも副業でも、皆さんとご一緒に
IT活用で日本をもっと喜楽にしていきたいです。
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たくさんの企業にIT活用で喜んでもらいながら
日本の成長へ皆さんと共に向かいながら
法人・個人の方へは、売上利益に貢献したいですし
副業の方へは、収入アップに貢献したいです。

そのためなら、どんなことでも包み隠さず
自分の経験やノウハウをお渡しいたします。