生い立ち 専門学校時代

コンピューターの専門学校に入り、一生懸命勉強しました。

その頃、Flashで動画を作れるのは珍しく、授業にFlashがなくてもソフトを購入して、勉強して作っていました。すると、クラブで遊んでいた頃の仲間から、ファッションショーの背景スクリーンに流す動画を作って欲しいと依頼がありました。

チラシなら作ったことはあったのですが、動画作成は結構な大仕事で、何日も掛けて作った結果、とても喜んでもらえて、自分も凄く感動したのを覚えています。

動画作成費用として、お小遣いをいただいて思ったのは、実際の依頼は非常に勉強になるということでした。もっと実際の依頼を受けてみたい、勉強したい。顧客開拓の方法も、領収書の存在も、挨拶の仕方も、何も分からない状態だったのですが、やりたい衝動が大きすぎて、授業が終わったら外に飛び出し、何かデザインの仕事があるなら格安でやらせて欲しいと、知っている人に片っ端から声を掛けて回りました。

すると、有り難いことに何件かレスポンスがあり、定期的にポスターやチラシ、ホームページ作成、ロゴマーク作成など、お仕事をいただくことができました。

今思えば、名刺も持たず、時計も付けず、父のスーツを借りて(裏生地に龍の刺繍が入ってた…)スニーカーで金髪ロン毛という怪しさ満開の人間に、仕事をやらせてくれた方々に本当に感謝です。
「お前、社会人1年やな?ヒヨっ子やろ?」(実際は学生…)
と言われて舐められて、無茶をさせられたことも何度かあったけど、ほとんどの方は、冷泉がヒヨっ子なのを承知の上で、仕事を任せてくださったのだと思います。本当にいい経験になりましたし、仕事の面白さを教えていただきました。

ただ、この頃、また冷泉はやらかしたのです。

成績も良かったことから、2社から就職のオファーをいただいたのです。それをなんと、蹴ったのです。なんて調子に乗った奴なんだと自分で思います。不良だった専門学生の19歳が
「これは自分でやれる!」と思ってしまったのです。専門学校を卒業した冷泉は、いきなり個人事業主としてスタートしたのでした。。。

個人事業主時代へ続く

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