生い立ち 個人事業主時代

個人事業主になったものの、ビジネスのことは何も分かっておらず、安定した収入などはありません。

格安が売りだったので、ちょこちょこいただくデザインの仕事だけでは、ヒドイ時は、月収3万円の時もありました。実家に住ませてもらって、親のすねをかじり続けていました。

デザイン以外にも、人が集まるホームページを作って(今で言うメディア)広告収入を得たりしていたのですが、ここが残念なところで、安定収入も無いのに、入ったお金はすぐに大半を使ってしまっていたのです。

個人事業主になって1年が経つ21歳の頃、このままではマズイと非常に焦りました。22歳までになんとか実家のお世話にならなくて済むように、仕事をして親に安心してもらいたい。

そこで思い付いたのが、仕事を1件1件営業していただいて回るのではなく、既に仕事が集まっている場所から、仕事を流していただくことを思い付きました。

早速、デザインの仕事を受けているサイトを探そうかと思った時、自分もよく知っている「ホームページ登録ドットコム」というサイトにバナー広告作成のサービスがあるのを思い出しました。

そして、バナー広告作成のサービスをクリックしてみると
「誠に申し訳ありません、只今受け付けておりません」
という感じで、急遽サービスを停止したような形になっていました。

それを見た冷泉は
「これは何かお手伝いできるかもしれない」とピンときまして
GIFバナーもFlashバナーも作れますので、私に何かお手伝い出来ることがありそうでしたら、お声掛けください。というようなメールをホームページ登録ドットコムに送信しました。

これが、ChatWork 株式会社( 旧:EC studio )の山本社長とのファーストコンタクトでした。

その後は、チャットや無料通話のツールを使って、山本社長と打ち合わせをして、すぐにお仕事をいただけることになりました。その頃、山本社長はロサンゼルスに住んでいたため、僕とは半年以上も会わないままだったのですが、その間に何百件もの仕事を進めました。

冷泉は、人に付いて行かない一匹狼なタイプなのですが、山本社長だけは、凄いなぁ、凄い兄ちゃんだ!と会う前から思っていました。

そして、やっと山本社長と会うことになったのですが、冷泉はまだ21歳、PUNKSみたいなボロボロの古着に、茶髪でヒゲも生えてて、顔色も目付きも悪く、汚い歩き方をする兄ちゃんだったので、まさか半年間も一緒に仕事をしていた人物とは思えなかったみたいで、冷泉(21)が声を掛けても、「へ?」といった様子で、通り過ぎていきました(笑)

もう一度呼び止めて、自分が冷泉だということを説明すると
「うわぁ・・・まじで・・・」という山本社長の心の声が聞こえてきました。
それでも、クビにされることもなく、引き続き仕事を任せてくれて、よく食事にも連れて行ってもらいました。山本社長、本当にありがとうございます。

個人事業主時代「転機」へ続く

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