運動部のお誘い

201801

冷泉は、10代の頃に日本拳法という格闘技を10年ほどやっていましたが、20代の頃はデスクワークオンリー、しかも会社の近くに住んでいたため歩くことも少なく、超絶運動不足でした。体重はMAXで96kgまで増え、健康診断の結果は最悪、若かったから何とかなっただけで、あのままの生活だと今頃は生活習慣病になっていたはずです。ぜんぜん自己管理出来ていませんでした。

ジムも契約しては辞めてを繰り返し、どうしても一人では続けられない。(意志が弱いだけなのですが…)

このままではイカンと、30歳を転機に同級生3人で運動部を発足しました。それから毎週日曜日の朝は運動をするようになりました。今思うと、本当に運動部をやっておいて良かったです。やっていなかったら身体の外側はブヨブヨで、身体の内側のボロボロはもっと酷いことになっていたはずです。現在の健康診断は異常なしのキレイな数値かつ、肥満からおさらばして、身長178cm/体重76kgの筋肉質タイプです。

運動部は大阪でのみ開催しているのですが、毎週日曜日の9:30〜12:30まで皆で仲良くボクササイズを楽しんでいます。ボクササイズといっても、格闘技経験者が30〜40%参加しているため基礎からパンチ・キック・守りまで指導できます。

一人で頑張るジムとガチのキックボクシングジムの間と思ってもらえばイメージしやすいと思います。

トレーニングメニューも充実しています。一人では難しいけど皆で励まし合いながら頑張れるメニューです。

・ストレッチ(各自)
・格闘基礎(動き方、パンチ、キック、避け方)
・3分 5ラウンドのミット(パンチ&キック)
・筋トレ(腕立て70回、腹筋70回、背筋、体幹トレーニング)
・タバタ式トレーニング(スクワット160回相当の負荷)
・仕上げに腹筋

前半は自由時間が結構あって、その時間は各自サンドバックを殴ったり、相手を見つけて組手をしたり好きなことをしています。

最初はガッチガチに筋肉痛になりますが、3〜4回も続けて来てもらうと急に身体がラクになり、3ヶ月も続けると随分身体が変わってきます。

気になる方は、お気軽に冷泉にお声がけください。1回1,000円で参加でき(スペースレンタル代とグローブ等の道具代に充てています)、持ち物は軍手だけです。女性の参加者もいますし、お子さんと一緒に参加もウェルカムです。







ダイエットを見てきた

※冷泉が独断と偏見で書いています。

人間はこの200万年の歴史の中で、ほんのつい最近の100年で太れるくらい食物が豊かになりました、農耕もたった1万年しか歴史がありません。199万年は肉や木の実や草などを食べていたようです。それがここ最近で急激に人間の食が変わっていて、進化はそのスピードについていけていないのです。人工の砂糖(精製白砂糖)も1900年代に生まれた最近のものなのです。

冷泉は、日本ファンクショナルダイエット協会のアドバイザーの資格を持っていたりします。

しかし、今はあまりオススメしていません。もちろん医者と管理栄養士がガッチリ作った理論で良い情報なのですが、タンパク質は体重×1.6g摂取、炭水化物は60g以下、食物繊維20g以上、オメガ3を2g以上、カリウム3500mg、亜鉛10g、カルシウム650mg、マグネシウム350gなどなど、ルールが多くて、いつの間にか普通の糖質制限になってしまうことが多く、普通の糖質制限だと栄養バランスが崩れ、体が飢餓状態になって免疫力が低下し、体調不良や病気になってしまう危険性があるからです。

ちゃんとルールを守れば健康的に痩せるのですが、それでも1つ大きな落とし穴があります。

それは、食事制限だけでは筋肉が落ちるということです。筋肉は臓器と言われていて、体のいろんな機能と連動して様々な病気から体を守っています。免疫を向上する、免疫異常を抑える、癌の増殖を防ぐ、鬱症状を改善する、メタボによる内臓型肥満・高血圧・高血糖・脂質代謝異常の改善などなど、単に体を動かすための存在ではないのです。筋肉が減ると病気になるリスクが上がってしまいます。

ですので、筋肉を付けながら痩せるというのが、ダイエットでとても重要なことです。

冷泉は、23歳から33歳まで96kgの巨漢でした。一時期、108kg(煩悩の数)を目指していたのですが、ホルモンが96kgで止めてくれたようです。30歳からは運動もしましたが、まったく痩せませんでした。それだけ炭水化物を摂りすぎていたのです。ビールや日本酒やワインを吐きそうになるまで飲んで、毎晩ラーメンを食べていたので、いくら運動しても痩せません。

上記のダイエット協会で学んで20kg痩せることに成功したのですが、上手くいった理由は、なるべく筋肉を落とさないように食事制限をしたことです。もし筋トレせずに食事制限だけでダイエットを実施していたら、物凄いリバウンドしやすい体になっていたはずです。おかげで痩せてからもリバウンドせず健康体です。(今でも炭水化物食べまくれば簡単に太れます)

ほどほどの食事制限(炭水化物は昼は食べすぎない、夜はほぼ食べないなど)と、しっかり筋力トレーニングをするのが、一番健康的に痩せられます。大阪でしたら毎週日曜日の朝に運動部というサークルで、ワイワイ運動を楽しんでいますので、ご興味あればお声がけください。皆様の健康と筋肉に貢献したいです。

東洋医学を見てきた

※冷泉が独断と偏見で書いています。

冷泉は、毎月東洋医学の先生に体をメンテナンスしてもらっています。

外科的なことは、もちろん西洋医学が大切だと考えていますが、冷泉は、西洋も東洋もどちらも大切だと考えている。左手を大怪我して、動脈と神経を切った時、西洋医学が無ければ死んでいましたし、大腸炎出血で700ccの鮮血が肛門から出た時も、薬が無かったら死んでいたかもしれない。尿酸が尿で排出されにくいため尿酸値は薬を飲まないと10近くになるので、これも放っておくと痛風だけでなく腎臓が壊れてしまう。冷泉は西洋医学に命を救われています。大変に有り難いです。

一方、東洋医学もメンテナンスには欠かせないものになっています。冷泉が受けているのは、熱いお灸なのですが、これが凄い効く。よく見てもらっているのは、大腸炎出血の再発頻度を抑えること、風邪をひきにくくしてもらうこと、腰痛や頭痛などの根治、美味しくお酒が飲めるように主に肝臓と胃のメンテナンス、扁桃腺炎になりにくくしてもらうこと、自分で感知出来ていない弱っているところのカバーなどです。毎回、治療を受けると生まれ変わったように意識がピンとします。

これまでにたくさんの方をご紹介したのですが、皆さん効果に驚きながら喜んでくださいます。西洋医学では原因不明だった頭痛が嘘のように治る、靴下を履くのに20分掛かっていたのがその場で治る、薬で改善が見られない逆流性食道炎が良くなる。などなど、これを読んでいると怪しく感じるかもしれないですが、製薬会社の社長さんも治療を受けにこられている腕は本物の先生です。治療法は[奇経治療]と言って、鍼灸師でもかなりの熟練度が必要な治療法になります。

親友が理学療法士で妻が鍼灸師なので、冷泉も自然と医学に触れることが多く、自分で興味を持って調べ物をしたりする内に、自分の体には何が合っているのか、どういう人には何系の治療が合うのかなど、少しずつですが勘が身に付いてきているように思います。(冷泉は、治療などは出来ないですが)

冷泉がよく触れるのは、[鍼灸][奇経治療]この2つだけなのですが、物凄い効果なので、今後も知識を深めていきたい。そういえば、牛黄(ゴオウ)という漢方は稀に飲みます。これが万能で、お酒を物凄く飲む日に牛黄を服用すると酔っ払うけどいくらでも飲める酒豪になれます。次の日の二日酔いもほとんどありません。内臓に物凄い負荷を掛けているのではないかと心配になるので、ここぞという時だけ服用しています。

医療を身近に置き続けて、その経験や知識が間接的に皆様のお役に立つことがあれば嬉しいです。

職務経歴書

職 務 経 歴 書

職務要約:専門学校卒業後、個人事業主(デザイナー)として独立、ChatWork株式会社の創業メンバーとして入社、ITと組織に関する豊富な知識と経験で、これまでに1,000社以上の中小企業のIT化と組織活性化をサポート。

2001年4月〜2004年3月
個人事業主のデザイナーとして活動
【主な業務】
WEBサイト・バナー広告の制作、その他デザイン関連
ホームページのアクセスアップのアドバイス(SEO対策、UI指南)
※上記に関しては外部スタッフのマネジメントも含む
機械や薬品効果の動きをFLASHムービーで表現
メディア運営(女性向け検索エンジン)

2004年4月〜2008年3月
ChatWork株式会社(旧 株式会社EC studio)に創業メンバーとして参画
【主な業務】
デザイナーとして入社し、リーダー、マネージャーとして
2006年からはデザイン業務から離れ、部署横断のマネジメントに従事。

2008年4月〜2011年3月
ChatWork株式会社 常務取締役に就任
【主な業務】
経営全般に関わりながら、メインは人事担当として従事。
事業長:お客様がIT活用を勉強できる有料会員サイトを作成1,000社以上登録
事業長:G Suiteのアカウント販売サイトの作成(Master Apps)
社内教育の仕組み作り
社内コミュニケーションの仕組み作り
従業員意識調査の読み解きから、組織活性化に関する施策実行まで
2008年度、2009年度の従業員満足度1位の会社として認定される。
※リンクアンドモチベーションのEMS調査にて

2011年4月〜現在
グッドマネジメント総合研究所 代表取締役に就任
ChatWork株式会社のグループ会社として独立(現在は資本関係なし)
【専門スキル】
コミュニケーションツールの活用(特にチャットワーク)
G Suiteの社内活用(Google社員が驚くGoogle活用法)
社内教育の仕組み作り(社内教育を最大70%自動化)
暗黙知(非言語)を顕在化させるヒアリング技術(技術継承技術)
経営理念構築・クレド構築のサポート

— その他:資格や表彰など —

Google Apps Certified Sales Specialist
Google Apps の導入・活用支援のスペシャリスト

2012年 日本一社員満足度が高い すごい会社の作り方:講師
未来工業株式会社創業者 故:山田昭男様 共演

2014年 高収益トップ3%倶楽部 第154回勉強会:講師
経営コンサルタント 石原明様 共演

2015年 クレド経営協会 最優秀クレド経営アドバイザー賞を受賞

2017年 連載コラム:WEDGE:伝える力・伝わる仕組みできてますか?
http://wedge.ismedia.jp/category/kato

2017年 武蔵野セミナーズ 時間と場所を超える仕事術:講師

生い立ち グッドマネジメント総合研究所

ChatWork株式会社を2011年4月に退職と同時に、グッドマネジメント総合研究所を設立し代表取締役に就任しました。

独立の経緯は、ChatWork株式会社にコンサルや研修の依頼が多くなったことと、コンサルや研修というリアルな事業をおこなう文化が社内に無かったため、別会社を起こそうということで、グループ会社として独立した形になります。

冷泉は、社長になってから気付いた事がたくさんありました。
「あぁ、だからあの時、山本社長はこう言ってたんだ…」
「こういうことだったのか!山本社長の言っていたことは!なるほど!」
「山本社長は、こんなに広範囲のことを把握していたんだ…」

後ろ盾がないという緊張感、足を滑らせたら終わってしまう危機感、感じたことが無いいろんな自分の感情と戦いながら、会社として軌道に乗せていく難しさを噛み締めながら、一歩一歩前進していく。

その中で、たくさんの素敵な体験をしてきました。会社の皆で理念を再構築、評価制度を選べる仕組みを作る、社内教育の仕組みづくりを皆で研究してお客様に提供する、オリジナルのシステムを開発してお客様に提供する、東京に進出、インターン生が自身の望む会社にどんどん就職する、たくさんのプロフェッショナルな方々との連携する、特に人との関わりは掛け替えがありません。

グッドマネジメント総合研究所は、2011年に生まれた若い会社ですが、ずっと若々しく新しいことにチャレンジし続けていきます。

冷泉 職務経歴書

生い立ち ChatWork株式会社(旧:EC studio)時代

ChatWork株式会社に2004年に入社し、それから7年間、本当に様々なことを学ばせていただきました。

はじめの2年間はデザイナーとして、その後は、少しずつ人事領域に入り、採用や評価、社員教育を担うようになりました。2008年に常務取締役に就任、IT活用を世の中に広める2つのサービスの事業長を担当させていただきながら、最高人事責任者として様々な取り組みをおこないました。

冷泉は会社大好き人間で、人が集まる場所を作るために、広めの家を会社の近くに借りて、スタッフみんなを呼んで、ちゃんこ鍋を作って一緒に食べたりするぐらい好きでした。しかも数え切れないくらい開催(理解ある奥さんに感謝です)人数が30名以上になってからは、なかなか難しかったですが、それでも皆とよく飲みに行きました。

本当にツライ思いをしたこともあります。どんな時も課題というものはあり、四苦八苦しながらクリアするのですが、7年間で一度だけ会社に行きたくない時期がありました。

それは、やっぱり人に関することなんですね。状況を詳しくは書かないですが、人間不信になってしまったのです。なんとかクリアというか、心身ボロボロになりましたが、人を大切にする意味がさらに深く理解できるようになり、人をさらに好きになれるようになり、自分を飛躍的に成長させてくれた大変貴重な経験でした。今は感謝の気持ちでいっぱいです。

ChatWork株式会社は、ITを徹底的に活用する会社なのですが、それはITのためではなく、人間のためです。人間の人間による人間のためのIT。それを心底体感し、実践し、練り上げ、どうすれば人の幸せのためのITになるのか、現在も探求を続けています。

グッドマネジメント総合研究所 時代へ続く

生い立ち 個人事業主時代「転機」

山本社長から、デザインの仕事を含め様々な仕事を任せていただく中で、二つの転機がありました。

1つ目は、山本社長に
「冷泉は、ウニや!」と言われたことです。

「冷泉のことが、良い人に見える人はいない!トゲトゲしくて、近寄って触れることさえできない、人生は長く、コミュニケーションは一生あるんやで!一生損するで!せっかく中身は美味しいものがいっぱい詰まっているのに!」と言ってくださったのです。

冷泉は、誰からもアドバイスをもらったことも無かったですし(アドバイスしたら怒り出しそうな雰囲気があったのだと思います)また、良いものを持っていると褒められたことも無かったので、その両方を一度に、しかも自然にスーッと冷泉の心の奥の方に届かせてくれたのです。

この時の「スーッ」という自然な感覚が初めてで何かが弾けました。

この時、心に決めました。
「山本さんに付いていきたい」

2つ目の転機は、その時の彼女(現:妻)が、生まれて初めて結婚したいと思った相手だったことです。

その頃の冷泉は、自分が大人としてダメ人間である。ということは重々承知していて、人様のお命を預かるなんて、そんな資格は自分にあるはずがない。結婚は、45歳くらいにならないと出来ないんじゃないか。と思っていたのですが

彼女に会った瞬間「この人のために生きたい」と思ったのです。そんな気持ちは初めてで、この直感は間違いないと確信。彼女と付き合って1年ほど経った頃、山本社長のビジネスが大きくなり、会社を設立することになりました。

その時、大変有り難いことに
「うちの会社くる?」
と山本社長が声を掛けてくださったのです。もちろん「ぜひ!ありがとうございます!」と伝えた後、冷泉は、就職することによって、彼女のご両親に安心して結婚を許してもらえる!と、かなり自己中心的なことを閃き、早速行動に移しました。

まだ勤め始めていないのに、両親との挨拶を済ませて、結婚することになりました。

そして、喜んでもらえるだろうと思いながら、山本社長に結婚の報告をしたら、仰天されました。
「冷泉1人なら何とかなるだろうと思ってたけど、結婚ということなら、冷泉の奥さんも守らねば!」
と山本社長は、仰天と同時に覚悟をされたということです。(山本社長は当時25歳)

冷泉は、凄いプレッシャーを山本社長に与えていることも知らずに、ニコニコしていました。今思うと無茶苦茶な奴だったと思います。当時、まだ冷泉が22歳で、色々な方にご心配をお掛けしたと思います。特に山本社長には、身勝手な行動でこの時も、その後も、たくさんのご心配をお掛けしました。

それからは、就職を機に自分だけでやっていた仕事を友人や知り合いに引き継いでもらい、ChatWork株式会社(旧:EC studio )に晴れて入社し、同時に結婚生活もスタートしました。

ChatWork 株式会社(旧:EC studio)時代へ続く

生い立ち 個人事業主時代

個人事業主になったものの、ビジネスのことは何も分かっておらず、安定した収入などはありません。

格安が売りだったので、ちょこちょこいただくデザインの仕事だけでは、ヒドイ時は、月収3万円の時もありました。実家に住ませてもらって、親のすねをかじり続けていました。

デザイン以外にも、人が集まるホームページを作って(今で言うメディア)広告収入を得たりしていたのですが、ここが残念なところで、安定収入も無いのに、入ったお金はすぐに大半を使ってしまっていたのです。

個人事業主になって1年が経つ21歳の頃、このままではマズイと非常に焦りました。22歳までになんとか実家のお世話にならなくて済むように、仕事をして親に安心してもらいたい。

そこで思い付いたのが、仕事を1件1件営業していただいて回るのではなく、既に仕事が集まっている場所から、仕事を流していただくことを思い付きました。

早速、デザインの仕事を受けているサイトを探そうかと思った時、自分もよく知っている「ホームページ登録ドットコム」というサイトにバナー広告作成のサービスがあるのを思い出しました。

そして、バナー広告作成のサービスをクリックしてみると
「誠に申し訳ありません、只今受け付けておりません」
という感じで、急遽サービスを停止したような形になっていました。

それを見た冷泉は
「これは何かお手伝いできるかもしれない」とピンときまして
GIFバナーもFlashバナーも作れますので、私に何かお手伝い出来ることがありそうでしたら、お声掛けください。というようなメールをホームページ登録ドットコムに送信しました。

これが、ChatWork 株式会社( 旧:EC studio )の山本社長とのファーストコンタクトでした。

その後は、チャットや無料通話のツールを使って、山本社長と打ち合わせをして、すぐにお仕事をいただけることになりました。その頃、山本社長はロサンゼルスに住んでいたため、僕とは半年以上も会わないままだったのですが、その間に何百件もの仕事を進めました。

冷泉は、人に付いて行かない一匹狼なタイプなのですが、山本社長だけは、凄いなぁ、凄い兄ちゃんだ!と会う前から思っていました。

そして、やっと山本社長と会うことになったのですが、冷泉はまだ21歳、PUNKSみたいなボロボロの古着に、茶髪でヒゲも生えてて、顔色も目付きも悪く、汚い歩き方をする兄ちゃんだったので、まさか半年間も一緒に仕事をしていた人物とは思えなかったみたいで、冷泉(21)が声を掛けても、「へ?」といった様子で、通り過ぎていきました(笑)

もう一度呼び止めて、自分が冷泉だということを説明すると
「うわぁ・・・まじで・・・」という山本社長の心の声が聞こえてきました。
それでも、クビにされることもなく、引き続き仕事を任せてくれて、よく食事にも連れて行ってもらいました。山本社長、本当にありがとうございます。

個人事業主時代「転機」へ続く

生い立ち 専門学校時代

コンピューターの専門学校に入り、一生懸命勉強しました。

その頃、Flashで動画を作れるのは珍しく、授業にFlashがなくてもソフトを購入して、勉強して作っていました。すると、クラブで遊んでいた頃の仲間から、ファッションショーの背景スクリーンに流す動画を作って欲しいと依頼がありました。

チラシなら作ったことはあったのですが、動画作成は結構な大仕事で、何日も掛けて作った結果、とても喜んでもらえて、自分も凄く感動したのを覚えています。

動画作成費用として、お小遣いをいただいて思ったのは、実際の依頼は非常に勉強になるということでした。もっと実際の依頼を受けてみたい、勉強したい。顧客開拓の方法も、領収書の存在も、挨拶の仕方も、何も分からない状態だったのですが、やりたい衝動が大きすぎて、授業が終わったら外に飛び出し、何かデザインの仕事があるなら格安でやらせて欲しいと、知っている人に片っ端から声を掛けて回りました。

すると、有り難いことに何件かレスポンスがあり、定期的にポスターやチラシ、ホームページ作成、ロゴマーク作成など、お仕事をいただくことができました。

今思えば、名刺も持たず、時計も付けず、父のスーツを借りて(裏生地に龍の刺繍が入ってた…)スニーカーで金髪ロン毛という怪しさ満開の人間に、仕事をやらせてくれた方々に本当に感謝です。
「お前、社会人1年やな?ヒヨっ子やろ?」(実際は学生…)
と言われて舐められて、無茶をさせられたことも何度かあったけど、ほとんどの方は、冷泉がヒヨっ子なのを承知の上で、仕事を任せてくださったのだと思います。本当にいい経験になりましたし、仕事の面白さを教えていただきました。

ただ、この頃、また冷泉はやらかしたのです。

成績も良かったことから、2社から就職のオファーをいただいたのです。それをなんと、蹴ったのです。なんて調子に乗った奴なんだと自分で思います。不良だった専門学生の19歳が
「これは自分でやれる!」と思ってしまったのです。専門学校を卒業した冷泉は、いきなり個人事業主としてスタートしたのでした。。。

個人事業主時代へ続く